自己探求のための脳内開示 blog

このブログは、日々の出来事の中から”氣づき”を見出し「自分の中心」と繋がるための脳内開示です。

”どっちでもいい”は”どっちもいい”

思い込みはいけないとか

思い込んだら質実剛健とか

 

思い込みって

いったい何?

 

 

思い込みがあるから

突っ走れる

 

思い込みがあるから

抜け出せない

 

 

 

もしかして”思い込み”って

それがあるかどうかより

 

自分が、今の自分の状態に

どんなジャッジをしているか

ってことなのかも

 

 

今の自分、頑張ってる!

目標に向かって頑張ってる!

いい状態と思ってる。

 

 

今の自分、なんだかもやもや

色んな話を聞きすぎてよくわからん

イケてないと思ってる。

 

 

思い込みって

あってもなくてもいいのかも。

 

 

ただ、今の自分をどう観るか

それだけなのかもね。

 

 

自分の出来ないことを出来るように

しようとすることも良し

 

今、出来ることで

やろうとするも良し

 

 

どっちもOK!

その自分にOK!

結局最後は

どうにかなる!

 

死ぬこと以外

かすり傷!

インスピレーション サバイバル

自分の直感を信じることって

どれだけ出来るんだろう?

 

「直感を信じる」

というと

ちょっと大きな決断をするようなことにも

思えるかも知れないが

 

僕らはいつも決断している。

 

 

朝、そろそろ起きようと決めて

起きているし

 

今日はこれ着ていこうと決めているし

 

仕事終わりに

いっぱい飲むか飲まないか決めてるし

 

すべてを決めて生きている。

 

 

 

それを「感覚」で選ぶか

「いつもと一緒」

「流れのままに」

で決めるか。

 

 

その違いなだけだ。

 

 

その選ぶときに

自分の感覚

「これがいいかも」

をチョイスしていく。

 

 

それが

「直感を信じる」

ということだと思う。

 

 

 

思考を使って

損得で考えては

うまくいかなかったこと。

 

直感を信じて行動して

思いも寄らない方向に

好転していったこと。

 

 

思考することも大切だと思うが

 

もっと自分自身を信じて

行動してみるのも

めちゃくちゃ大切だと思う。

 

 

そして、

直感と行動力を上げるのにも役立つ

「ビリ読」(ビリオネアの読書術)を

毎朝行っている。

 

その御蔭で

いくつもEVENTを成功させられたし

 

なかなか進まない相手に連絡をとって

一気に状況が進んだり

 

発言が増えて

チームの中での立ち位置ができたり

 

すごい勢いで

変化してきている。

 

あれこれ考えると

今までの枠にとらわれやすいが

感覚で選ぶと

今までと違うことがあっても

新しい道として選択できる。

【ゴミ拾いっておかしい】

今朝から始まった
近所のゴミ拾い。

 

ビリ読のアクションで
出てきてしまったから
やらなきゃしょうがない。

 

で、早速ゴミ袋を持って
散歩に出た。

 

散歩と言っても
ゴミを拾うことが目的だから
キョロキョロしながら歩く。

 

10分も歩いていると
コンビニの大きい袋が

いっぱいになるくらい集まる。

 

よく言われることだけど
「ゴミから生活が見える」

 

ここを通る人の中に
サントリーチューハイ ストロングゼロ
を、こよなく愛する人がいるようだ。

 

ゴミを拾い拾い歩いていると
在るオジサンが声をかけてくれた


「ご苦労さまです。ありがとうございます。」

 

ゴミ拾いをして感謝を言われる。
なんだかこそぐったい。

 

ゴミ拾うって
アタリマエのことなのに


それをすることで
感謝されるって
ありがたいことだし
おかしなこと。

 

ゴミ拾い
当たり前になればいいのに。

 

ゴミって
自分が捨てたものじゃなくても


落ちているのを観ると
なんだか氣持ちが下がる。

 

”ゴミ”と言う認識をしているから
そこにないほうが

環境にいいとはわかっている。

 


わかっているけど
何かしらの理由で
拾わなかったり、拾えなかったりした時


どことなく
自分に言い訳をしちゃう。

 

「だって車だから止まれないし」
「今急いでるから」
「拾っても捨てるとこないし」

 

それって
自分で自分を信頼できなくしてる

 

だったら、
そう思うことがないように
ゴミがなければいい!

 

だから、ゴミを拾う

 

ゴミを拾って感謝され
ゴミを拾って言い訳をなくす。

 

ただそれだけね。

自分を信じるなんて、簡単!

これまで

何度も何度も

氣づいてきた

 

何度も何度も

教えてもらってきた

 

自分を信じる

自分の感覚を信じる。

 

 

ふと浮かんだことが

流れを作ってきたことを

 

これまでに

何度も何度も

見せつけられてきた。

 

 

見て見ぬ振りをしてきた

 

 

自分に自信がなく

思考に囚われ

 

損得、他人の目で

 

やったり、やらなかったり

してきた。

 

 

そんな中でも

「やろう」と想って

トライしたことで

ご縁が広がり

今度はビリオネアの事務所まで行くんだ!

 

 

行動を起こせ!

どんなことだって構わない!

利益なんてどうだっていい!

 

 

 

 

自分を信じるなんて

簡単だ。

 

 

これまでの自分を

振り返ってみればいい。

 

 

成し遂げたことだけでなく

 

うまく行っても行かなくても

やったこと、行動して起きたこと

つながったご縁

 

 

一つ一つ思い返してごらん。

 

 

自分が

何かをすることで

誰かと出会ったし

 

トライしてみることで

知れたこともあったし

 

「たったこれだけのこと」を

思うことがなければ

 

今の環境はなかったんだよ。

 

今、この環境があるのは

全て自分が一歩踏み出したからなんだ。

 

 

自分を信じるなんて

簡単さ。

 

今の自分は全て

これまでの自分の一歩で作ってきたんだから。

 

 

 

今、出来てないことは

やらなくてもいいことかもしれない。

 

 

今、出来ていなくても

やりたいことかもしれない。

 

何もやりたいことがないのも

今は、それでいいんだよ。

 

 

だって、振り返ってごらん?

 

今まで、一度も少しも

「これやりたい!出来るようになりたい!」って

想ったことなかったかい?

 

 

必ず一つはあっただろう。

 

 

人生かけてやりたいなんて思わなくてもい。

 

少しでも想ったことがあっただろう。

 

 

でも、それを今、やっていないだけ。

ブランクが空いているだけ。

 

また必ず

やりたいこと

チャレンジしたいことをは

必ず出てくるから。

 

 

そのときになったら

また始めればいい。

 

 

だから今は、

今を生きることを

全力で楽しもう!

2×4+6を計算しながら、22ー8を答える

意識って

その瞬間は

一つのことにしか

向けられないんじゃないか?

 

だとしたら

どんなに苦しいときでも

苦しくなくなる方法が

あるんじゃないか?

 

という考察

 

 

 

針の穴に糸を通しながら、悲しみに暮れる

 

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もし

あなたが

辛いことや

苦しいことが在るなら

 

少し耳を傾けてみてほしい

 

 

 

どんなに辛いことだって

その辛いことに

意識を向けながら

 

他のことに意識を向けることは

出来ないようだ。

 

 

 

あの人に言われた一言

 

「全然わかってないなぁ。

そんなことじゃないんだよ。」

 

「もう、なんでそうなの?。

もう最悪。」

 

そのことに

意識を向けながら

 

 

同じ瞬間に

お風呂に浸かって

 

「ふ〜〜〜」

って

明るい溜息をつくことは

出来ない。

 

 

 

「あの時からだよな〜

なんだか関係がおかしくなってきたの。」

 

「どうやったら

言うことを聴いてくれるのかなぁ。」

 

ということを考えながら

 

同時に

身体を洗って

まさに洗っているその感覚

こすられている感覚を感じることは

出来ない。

 

 

 

もし、

出来るっていう人がいれば

 

その一瞬一瞬に

意識を向けていることが

違うだけ。

 

 

「指洗お。」

と想って洗い始めたら

 

次の瞬間

「まぁったく。ホント嫌になっちゃう。」

って言うことに

意識を向けている。

 

 

また次の瞬間

「今度は中指」

とか、意識が向いている。

 

 

 

 

 

辛い、苦しい、悲しいとか

感じながら

 

他のことを出来ているなら

それは意識的じゃなくて

 

無意識的に出来ることだから。

 

 

 

だとしたら

「今、ここ」

「今この瞬間」

意識を向け続けられれば

 

”苦”は無くなる

ってことだ。

 

 

 

 

誰でも出来ている

 

 

「今、ここ」

に意識を向け続けるってのは

特別なことじゃない。

 

 

まさにさっきの

「指を洗おう」

「次は中指」

 

とかの

自分がする行為

一つ一つ

 

自分が感じている感覚、感情

一つ一つ

 

意識的にやり

意識的に感覚を感じる。

 

 

それだけで

「今、ここ」で居られる。

 

 

 

 

 

辛いこと、苦しいことに

意識が取られれいる時は

 

「今、ここ」

にいない状態

 

 

 

辛いこと

苦しいことは

 

「今」は

起きていない。

 

それが起きたのは

すでに過ぎ去った「過去」

 

不安、心配なのは

まだこぬ「未来」

 

 

どちらも

「今」に起きていることじゃない。

 

 

 

だとしたら

今起きていること

 

例えば

 

身体を洗っている時の

こすられている身体の感覚とか

 

歩いている時の

足の裏の感覚とか

 

今まさに

この瞬間起きていること

に意識を向ける

 

それが

「今、ここ」にいる状態。

 

※ ”無”や”空”になるのとは違う

 

 

 

 

 

 

何でも

すぐに出来るわけじゃない。

 

わかっているのに

 

また過去のことや

未来のことに

氣が行ってしまって

 

苦しくなったり

辛くなったり

不安になったり

することもある。

 

 

だけど

 

それに氣づいて

また「今、ここ」「この瞬間」

に意識を戻す。

 

 

それを繰り返しているうちに 

 

少しずつ

出来るようになってくる。

 

 

 

だって

子供や母親の行為に

反応的に行動して

 

家の壁をぶち破ったりしていた

アタシでも出来たんだから

 

きっとあなたにも

出来ます。

 

 

 

 

でも、

それすら出来ない

それでも辛い

 

 

そんな時は

 

ただただその思いを

口にしてみたり

 

整理すらしようとせず

言葉にしたり

文字にしたり

 

 

心のダムを

開放してあげることが

先なのかもしれない。

 

 

それだけで

すこし心に

緩みが出てくるから。

 

 

緩みが出来てから

始めてみればいい。

 

 

 

もし

誰かに聴いてほしいのに

誰もいない

 

そう想うなら

どうぞ、使ってくださいね。

 

 

 

大人と子供の相談員

あなたの

ダムを緩めるお手伝いもします。

 

保育園の時の記憶

保育園の入園式の日

 

覚えているのはこれだけ。

 

 

「そんな長いわけ無いでしょう!」

園長先生(だったと想う)に

家の電話番号を聴かれ

覚えている番号を答えたら

 

メッチャ強い口調で言われた(気がしている)

 

 

いつおその場面が思い出される。

 

 

「ちゃんと言ったのに・・・」

 

 

自分で頑張ったことを

頭ごなしに叱責されたり

否定されたりすると

 

一気に自分に自信がなくなる。

 

 

ましてや

まだ反抗心も芽生えないような頃。

 

 

 

今なら

その時の自分に対して

「いいんじゃん(⌒▽⌒)」

って、言ってあげられる。

 

 

幼い頃の記憶に

ネガティブなものがあるなら

 

その記憶が

望ましくない思い込み、価値観を

作っている可能性がある。

 

 

なにか引きずっているから

いまだに思い出したりするんだろう。

 

 

だって、それ以外にも

沢山、出来事はあったはずなのに

印象に残っていることばかり出てくるというのは

 

何かしら

昇華できてないってことだろう。

 

 

自分で癒すのもよし

誰かと一緒に癒やすもよし

 

 

自分の経験を

今に活かすことをしよう。

 

 

今、関わる人

子どもたちに対して

 

受入れもせず

評価判断したり

責めるようなことはやめよう。

 

 

どんなことだったとしても

必ずそこに思いがあるんだから。

 

まずは、受け入れることから始めよう。

「出来ない」を増やすには

「なんで言わないんだ!」

と、怒る親がいる

 

「なんで相談しないんだ!」

と、責める上司がいる

 

「すいません」

としか言わないのは

 

言えない

相談できない

 

いいたくない

相談したくない

 

関係を作ったからだ

 

 

どんなことでも言える関係

 

どんなことでも相談できる関係

 

それを作れていなければ

責めること自体が

更に「出来ない」を

増やしていく